五月の終わりごろ、白く小さな橘(たちばな)の花が咲きはじめます。近づくと、やわらかな柑橘の香りがふっと漂い、湿り気を帯びはじめた空気の中に静かに広がります。
花橘(はなたちばな)は、古くから日本で親しまれてきた季節の花です。『古今和歌集』には、
五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
という歌があります。花橘の香りにふれたとき、かつて親しくしていた人の袖の香りまで思い出される……。香りによって記憶が呼び起こされる感覚を詠んだ歌としてよく知られています。
かつて平安宮の紫宸殿(ししんでん)の前庭には、向かって左に桜、右に橘が植えられていました。これが「左近の桜・右近の橘」です。
橘は、冬でも葉を落とさない常緑樹であることから、古くは長寿や永続を象徴する木と考えられていました。その花は「常世花(とこよばな)」とも呼ばれ、永遠性を感じさせる花として尊ばれてきました。
『古事記』には、不老不死の実を持ち帰った「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」としても登場します。宮中に橘が植えられた背景にも、長く栄えることへの願いが重ねられていました。
京都の平安神宮でも、「左近の桜・右近の橘」が再現されています。五月の終わりごろには橘の白い花が咲き、近づくとやわらかな香りが漂います。
強く咲き誇る花ではありませんが、ふと香る花橘には、この時期ならではの季節感があります。
撮影: maaagram / PIXTA
参考文献
『茶趣をひろげる 歳時記百科』淡交社
・『二十四節気で親しむ 茶の湯の銘』(淡交社)
・『きもの文様暦』(淡交社)
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