
十五夜(じゅうごや)。旧暦八月十五日の夜のことをいい、この夜の月は「中秋の名月」として古くから親しまれてきました。
旧暦では七月から九月までを秋と捉え、その真ん中にあたる八月十五日を「中秋」といいます。「中秋」とよく似た言葉に「仲秋」がありますが、これは秋の真ん中の月、つまり旧暦八月を指す言葉です。
十五夜に月を愛でる風習は、中国で古くから行われ、唐の時代に盛んになったといいます。日本にも平安時代、9世紀半ばの文徳天皇(827~858)の頃には伝わっていたとされ、のちの『源氏物語』や『栄華物語』にも月を愛でる様子が描かれています。
一方、日本では、中国から十五夜の観月の風習が伝わる以前から、人々は月にさまざまな思いを重ねていました。奈良時代に編まれた『万葉集』の柿本人麻呂歌集には、
「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
とあります。夜空を海に、雲を波に、月を舟に見立てた、幻想的で壮大な情景です。
月を眺め、そこにさまざまな思いを重ねたのは、中国でも同じです。北宋の時代には、蘇軾(そしょく・蘇東坡、1037~1101)が「中秋月」と題して、中秋の夜をこう詠んでいます。
暮雲(ぼうん) 収(おさ)め尽くして清寒(せいかん)溢れ
銀漢(ぎんかん) 声無く 玉盤(ぎょくばん)を転(てん)ず
此(こ)の生 此の夜 長くは好からず
明月(めいげつ) 明年(みょうねん) 何(いず)れの処にて看ん
夕暮れの雲は消え、あたりには清らかな秋の冷気が満ち、天の川には音もなく、玉の皿のような月がめぐってゆく。そして、来年の名月を自分はいったいどこで眺めているのだろう、と続きます。満月の美しさとともに、今この時を惜しむ思いが伝わってきます。
空に浮かぶ月は、いつの時代も変わりません。しかし、人はその月にさまざまな思いを重ねてきました。遠く離れた故郷を思い、会えない人を思い、秋のもの悲しさを思う。異国の空に浮かぶ月から、かつて故郷で眺めた月を思い出す人もいました。同じ月を見ていても、そこに見出すものは、時代や国、そしてその人が置かれた立場や場所、その時々の心によって異なります。
中秋の名月を眺めながら、自分はこの月に何を思い、何を託すのか。そんなことを心に浮かべながら、秋の月を見上げてみてはいかがでしょうか。
撮影: shimanto / PIXTA(ピクスタ)
参考文献
『茶趣をひろげる 歳時記百科』(淡交社)
国立国会図書館レファレンス協同データベース「蘇軾の『中秋月』について」
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